中学・高校での暗記中心の歴史教育だけでは、「生きる知恵」は学べない。歴史と積極的に向き合い「記されなかった歴史」を探らない限り、人類の足跡が示す現代的意義を学ぶことはできない。私はそう考え、貴大学教育学部社会教育学科で、歴史を、そして歴史教育を学びたい。さらに、歴史を構成する多様な要因の理解に役立つ政治学や経済学も併せて学びたい。そして、将来は戦争と平和の意義について主体的に意見を持てる人々を育てるべく、中学や高校の社会科教師になりたい(序論)。
では、なぜわたしは、先ほど述べたような歴史観を持つようになったか。それは、長崎に修学旅行に赴いたときの被爆経験のある研究者との出会いから始まった。歴史教科書からは、原爆投下を雲の上から移した写真を見ることはできても、プルトニウム爆弾が破裂した下の地獄は伝えることができない。その後、文化祭に戦争経験者を呼ぶなど、様々な人から戦時体験を聞いたり、戦争映画を観たりして、その無残さを直観した。そして、知識の断片を無機的に詰め込む歴史教育への疑問が芽生えた。また、冷静に考えても歴史とは、連続する現実を記述者がその価値観、主観で切り取った「情報」に過ぎない。それゆえ、多様な情報源への取材が必要だ(本論)。
私はこうした志で、歴史と歴史教育について学びたい。そして、多様な視点を得るため、本学の留学制度を積極的に活用し、教官の指導も仰ぎ、海外の歴史資料なども収集してきたい(結論)。
※クロイワ正一のコメント
はっきりした将来展望、それを裏づける問題意識を育んだ経験。これらが具体的に明示してあるので説得力があります。なお、「批判的歴史観」などのキーワードは、大学のパンフレットに書いてあったものです。その趣旨に、YMさんは呼応したため、あえてここにも記しておき、この大学への興味深さをアピールしました。
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