小論文とは
「論」すなわち「あなたの考え」を
数百字から千字前後という「小さいボリューム」で
まとめる文章です。
本格的な論文は、数千字から数万字に上りますので
大学入試で問われる600字、800字、1,200字
といった字数の意見文は、まさに「小論文」といえるのです。
この小論文を書く力を養っておくと
多様な大学入試にチャレンジすることができます。
AO入試、推薦入試などでは
「本学を志望する理由を2,000字以内でまとめなさい」
といった志望理由書の提出を求められますし
筆記試験でも小論文が課されます。
また、国公立大学の後期試験でも
小論文を課す大学はとても多いのです。
さらに、ほとんどの学部で小論文を課す大学もあります。
例えば、政財界、言論界、医療界、技術界に
多くの有能な人材を輩出してきた慶應義塾大学では、
一般入試でもほとんどの学部で小論文が課されます。
さらに、医学部、看護学部、医療衛生学部、保健科学部など
医療関係の国家資格者を養成するほとんどの学部でも
小論文が課されます。
人と接し、その命を扱う仕事ですので
「しっかりとした考えを持ち、表現できる力は必須」
と見なされるのでしょう。
もし小論文の力を養う努力を継続していれば
上記のようなさまざまな大学に進学する可能性が
開かれるのです。
大学入学は人生の最終的な目的ではありません。
大学で培った知識、思考力、スキルを
いかに社会貢献のために活用するかということが
大学に進学する本来の目的です。
そのきっかけとして就職活動がありますが
近年、就職活動においても小論文の力が求められています。
第一に、多くの民間企業では
「エントリーシート」という名目で
多角的に志望動機を問うてきます。
また、筆記試験でも小論文を課すケースが増えています。
企業の採用担当者に
「なぜ面接試験や適性試験に加えて小論文を課すのですか」
と問うと、まず「落とすためです」と応えます。
日本では、グローバル化やITの進展とともに
生身の人間が行う労働需要が低下しているため
「できれば少数の有能な人材のみ採りたい」
というのが、企業の本音なのです。
そのために
面接で調子のいいことを言えるだけでなく
自分の考えを
文章でも論理的に表現できる能力を問うているのです。
民間企業だけでなく
病院など医療機関の採用試験でも小論文は必須です。
第二に、公務員試験でも
「教養記述」などという名目で小論文が課されます。
国家公務員試験でも、地方公務員試験でも同じです。
さらに、司法試験などの資格試験でも論述力が求められます。
第三に、より高度な知識を身につけるために
大学院に進学する必要がありますが
その入試でも、研究計画書の提出や
試験として小論文が課されます。
典型的なのが法科大学院、すなわちロースクールです。
「ステートメント」という名目で
法曹を目指す理由を事前に提出させたり
筆記試験として「小論文」を課したり
文章での論理的表現力が、
法科大学院進学には必須の能力なのです。
日本社会は経済成長を終え、
成熟時代に突入しています。
さらに、グローバル化とITの進展が
地球的規模での分業を加速させています。
このような時代を社会人として生き抜くには
「変化への対応力」と「創造力」が必須要件となります。
どういうことでしょうか。
第一に、成熟社会の特徴として
「もの余り」という現象があります。
成長期には、車や家電など、
それまで存在していなかったものが
一般家庭にも広がっていたため
「つくれば売れる」という前提がありました。
それは、そのまま労働力需要にもつながりました。
社会が、ものやサービスを欲していますから
企業は、そこに供給するものをつくりさえすればよかったのです。
ものをつくり、サービスを提供するには人が必要ですから
企業は積極的に人を採用しました。
つまり、成長期には
雇用は、社会や企業に依存していれば自然と生まれたのです。
しかし、成熟期になると
すでに社会はものやサービスで満ち溢れていますので
新たに生み出す必要性が減りました。
あわせて、低炭素社会など環境保全志向が浸透し
「ものつくり」そのものに対するブレーキもかかっています。
それゆえ、物理的な労働力の需要は大幅に減退してきたのです。
このように考えると、
成熟社会に必要とされる人材の要件は
市場の需要の変化を察知し
市場が、社会が必要とする
新たな製品やサービスを創造できる能力であると言えるのです。
第二に、「もの余り」が進むと言っても
生活必需品など消耗品の需要は減りません。
そこには、物理的な労働需要が相変わらず存在しているのです。
しかし、グローバル化の影響により
かつてのレベルの製品やサービスを
人件費も家賃も高い日本でつくるのは
効率的ではなくなってきてしまいました。
単純労働は新興国の工場に任せたり
安い人件費でも働いてくれる外国人労働者の方々に任せた方が
割のいい時代になってしまったのです。
ここにも、成熟社会の職業人に
「変化への対応力」と「創造力」が求められる理由があります。
第三に、さまざま事務、営業の仕事を
コンピュータが人の代わりにやってくれる時代の到来も
従来の労働需要の減退を促しました。
かつては「営業事務」などという職種がありました。
営業員の数字を取りまとめたり
顧客からの問い合わせに電話で対応したりする仕事です。
ところが、現在このような中間的な仕事はあまり必要なくなりました。
営業員はパソコンを持ち歩き数字を入力すれば
ウェブで飛んだ数字をコンピュータが勝手に集計してくれます。
顧客からの問い合わせにも
ホームページが受けてくれます。
極端な例では、
注文を受けるところから入金管理、発送まで
一切人の手がかからないシステムを築いている会社もあります。
コンピュータの力が人手に取って代わってしまったのです。
こうした社会で求められる人の力は
「コンピュータにはできないこと」です。
あらかじめプログラムしたことだけを正確にこなすのが
コンピュータの役割ですから、
その限界を超える能力を身につければいいのです。
それがプログラム外に飛び出す力
つまりは、想定外の変化に対応できる力であり
この世にない価値を創造する力なのです。
そして、このような力は
小論文の学習を通じて身につけることができます。
さまざまな素材を探り
自分独自の論を築いていくのが
小論文の答案をつくるプロセスですから
既存の常識、固定観念を超越する発想を身につける力が
養われるのです。
少なくとも
私が提唱する“ULTRA”という小論文の解法には
そのような力を養成するメカニズムが内包されています。
できるだけ多くの皆さんが
この講座を通じて、
21世紀の成熟社会を生き抜く力を養われることを祈ります。
コメントをお書きください